“見る”から“観る”へ
サッカーの試合を観ていると、同じ「見る」という行為であっても、選手によってその質はまったく異なることに気づきます。ある選手は、ボールを受ける前から周囲の状況を把握し、次の展開をイメージしている。一方で、別の選手は、ただ何となく目に入った味方やスペースにボールを送るだけ。その差は紙一重のようでいて、圧倒的な差が存在します。
ここで注目したいのが、「見る」と「観る」の違いです。日本語では同じ読み方ですが、サッカーにおいては次元がまるで異なる概念といえるでしょう。本記事では、この“判断のない見る”と“判断するための観る”の違いに焦点を当て、なぜそれが重要なのかを掘り下げていきます。すべてのサッカー指導者の方々が「なるほど」と感じる新たな視点をお届けできれば幸いです。
なぜ「見る」だけでは不十分なのか
判断のない“見る”の危険性
チームに、こんな選手はいないでしょうか。
- ボールを受ける直前になってやっと顔を上げる
- 目の前にいる味方を“見る”だけで、周囲の状況をほとんど見逃してしまう
- パスやドリブルを始めるとき、相手のプレッシャーをあまり想定せずに突っ込んでしまう
このような状態を、今回は便宜上「見る=判断のない自然視」と呼ぶことにします。これは、とりあえず視線を向けてはいるが、判断に繋がっていない状態です。
たとえば、「見たところにパスを出す」というプレー。ボールを持った瞬間にたまたま見えた方向や、すぐに視界に入った味方へボールを送るケースです。強度の高い試合では、相手に読まれてカットされやすく、結果としてチームが思うように前進(守備)できなくなる原因となります。
この「見る」の段階では、オフザボール時に味方・相手の状態がどうなっているか、そして次の展開でどのようなアクションを起こすべきかの予測、といった複合的な情報が全く入ってこないと考えられます。
“観る”がもたらす判断
判断するための“観る”とは
対して、“判断するための観る”とはどのような状態なのでしょうか。これは、周囲の状況を注視し、次のプレーをイメージできるレベルの情報収集を指します。
- 味方や相手選手の位置関係、スペースの有無
- 相手の守備がどこを狙っているか、プレスに来るタイミング
- 自分がパスを出したあと、次にどこへ動くのか
このように、“観る”とはただ目に入ってくる情報を受動的にとらえるのではなく、そこに自分なりの意図を加えて「どんなプレーが可能か」を判断する行為を含んでいます。
サッカーにおける本質的な視野の広さは、単に景色が見えているかどうかではなく、「どれだけ先を読んで自分からアクションを起こせるか」で測られるのです。
「観る」ことが身についた選手のプレーは、「見る」状態だった時は全く別次元になります。
まとめ
“見る”と“観る”の決定的な差
ここまで振り返ってみると、“見る”=何となく目に入るものに反応するだけ、 “観る”=先を見据えて判断材料にする行為という大きな違いが見えてきたのではないでしょうか。パスだけにとどまらず、攻守のあらゆる場面において「判断の伴う視野」を持ってプレーできるかどうかが、個人のパフォーマンス、ひいてはチーム全体に影響を及ぼします。
単に顔を上げて目に入ったものに反応するだけではなく、先を読んで判断するために“観る”ことができるようになると、選手のプレーの質は格段に向上します。
とりわけパスの例で語られることが多いですが、シュートやドリブル、守備のシーンでもこの概念は共通です。そして、それを可能にするのは選手だけの努力ではなく、指導者が“観る”意義を繰り返し説き、積み重ねること大切です。
たとえ戦術理解や技術が十分であっても、視野と判断が伴わなければ宝の持ち腐れになってしまいます。だからこそ、私たち指導者は“判断するための観る”を根付かせる日々【サッカーの要素を含んだトレーニング】をオーガナイズする必要があります。
サッカーは技術や戦術だけでなく状況判断もとても重要です。「彼らは本当に“観て”いるのだろうか?」という視点を持って指導に当たると新たな発見があると我々は考えています。皆様の何かの参考になれば幸いです。
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