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なぜ「インテンシティ」という言葉は敬遠されるのか?
このように、インテンシティがサッカーにおいて重要な複合的概念であることは間違いありません。しかし、それでもなお、一部の指導者がこの言葉の使用に否定的な立場を取るのには、いくつかの正当な理由が存在します。
定義の曖昧さが招く指導の誤解
否定派が指摘する最大の問題点は、この言葉の「定義の曖昧さ」です。指導者が「もっとインテンシティを上げろ!」と叫んだ時、それが「もっと速く走れ」という意味なのか、「もっと激しく身体をぶつけろ」という意味なのか、あるいは「もっと集中しろ」という意味なのか、受け取る選手によって解釈が異なってしまう危険性があります。
特に、思考がまだ発達段階にあるジュニア年代の選手に対して、この言葉を多用することは、深刻な誤解を招く可能性があります。彼らにとっては、「インテンシティが高い=がむしゃらに走り回る、激しくぶつかる」といった、短絡的で誤ったイメージに繋がりかねません。その結果、戦術的なポジショニングや冷静な判断といった、より重要な要素の成長を妨げてしまう恐れがあるのです。
また、「100パーセントの力でプレーすることは、プロとして、あるいは一人の選手として当たり前の基準である」という考え方もあります。その基準をわざわざ「インテンシティ」という特別な言葉で表現する必要はなく、むしろプレーの質に関する、より具体的な言葉で指導すべきだという意見です。
意味を伴わない「流行語」としての消費
「インテンシティ」という言葉は、かつてアルベルト・ザッケローニ元日本代表監督が多用したことで、日本のサッカー界に広く浸透しました。しかし、その言葉が一人歩きし、本来の意味を深く理解しないまま、安易な「流行語」として使われるようになった側面も否定できません。
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