はじめに
高校サッカー選手権が盛り上がりを見せています。
特に、上昇軍団を言われる青森山田の敗北をはじめとし、日章学園・京都橘も敗れています。
逆に古豪帝京高校も躍進は注目され、もちろん優勝校を筆頭の大津高校も見逃せません。
さて、そんな中で気になるのは近年高校サッカー選手権に出てくる代表校が【私立高校が大多数を締め、そのほとんどが何百人と部員を抱えている】ということです。日本における人口減少、特に少子高齢化の影響が顕著になってきました。若年層(18歳以下)の人数が減っていくことで、スポーツ界は、競技人口の減少という深刻な課題に直面していると我々は考えています。
かつては“当たり前”に部活動が存在し、子どもたちが多種多様な競技を選択することができました。しかし、少子化によって競技者の母数が減ると、それぞれの競技における参加者数が減少し、チームとして成り立ちにくくなる状況が生まれています。
実際に、いつくかの都道府県では公立学校の部活動を縮小、あるいは廃止する動きが徐々に進んでおり、子どもたちが所属先を失う可能性が高まっています。
特に、大会実績を重視し全国的に強豪校として知られる私立校や、著名なクラブチーム(Jの下部組織を中心)に有力な選手が集中する傾向も強まっているようです。こうした環境のなか、「普通の公立校」で部活動を指導する立場の指導者たちは、どのような意味を持ち、どんな未来を描くべきなのでしょうか。
少子化の流れはすぐに変わるものではないかもしれません。しかし、こうした状況だからこそ改めて「スポーツを通して得られる価値」や「部活動指導者の存在意義」を考える必要があると思っています。
スポーツを通した人間教育と部活動の価値
スポーツがもたらす影響は、単純に運動能力の向上だけではありません。特に中学・高校の部活動という枠組みのなかで、子どもたちは「社会の縮図」のような環境に身を置き、たくさんの経験を通して人間としての成長を遂げていきます。部活動指導者には、それを支援し導く大きな役割があると我々は考えています。
ここで大きく3つの観点を挙げます。
1.スポーツを通した人間教育
競技に取り組む上で必要となる努力や規律、自分やチームメイトへの配慮、そして目標に向けて一丸となる姿勢。これらは社会に出た後も通用する力と直結しています。特に、チームスポーツでの勝利に向かうプロセスには、自律(セルフマネジメント)と他律(チームマネジメント)の両面が要求されます。
指導者の立場から見ると、「勝つための戦術」はもちろん必要ですが「人としてどうあるべきか」を考えさせる教育的アプローチも昼用だと我々は考えています。
過程と成長に成功体験を感じる機会の提供
スポーツ球技においては、全ての子どもが勝利を味わえるわけではありません。しかし、日々の練習や試合のなかで、昨日までできなかったことが今日できるようになる瞬間や、大会での少しの成果、仲間との連携がスムーズになった手応えなど、「小さな成功体験」は必ず存在しています。
それらを適切に評価し、子ども自身が「自分は成長している」と実感できるようにサポートするのは、指導者の重要な役割です。勝利という結果にとらわれすぎず、過程のなかで得られる喜びをいかに拾い上げるか――そこにこそ、スポーツを続けるモチベーションの源があります。まさに【成功にとらわれるな成長にとらわれろ】です。
SNSではなくリアル世界での人間関係の構築機会
現代はインターネットやSNSを介して、あらゆる人間関係が簡単に構築されるようになりました。今や小学生でも当たり前のように一人スマホ一台ではないでしょうか?
しかし一方で、「リアルな場所で人と接する機会」は減っているとも言われています。部活動の場では、仲間や先輩後輩とのやり取り、顧問の指導者とのコミュニケーションなど、年齢や考え方が異なる人々と直接関わることで「相手を尊重する態度」や「チームワーク」を学ぶことが可能です。これは、単純なテキストベースのやりとりでは得られにくい“肌感覚”と言えるでしょう。
競技者・指導者の未来と変化する部活動の意義
しかし、一方で競技力の高い選手ほど有名クラブチームに流れたり、強豪私立校へ進学し、その結果、公立校の場が活気を失っていく現実があります(これからもっと増えていでしょう)。公立校の指導者は「強豪校ほどの環境がない」「部員数が少なくチームが成り立たない」などの悩みを抱えやすく、指導方法の工夫や運営上のアイデアを求められる場面が増えていくでしょう。
その中で指導者にはどんな役割が求められるのかを考えてみました。
より専門性が問われる
今後はさらに効率的かつ質の高い指導が求められます。ス「なんとなく昔ながらの根性論で」というやり方は、子どもの数が減少する今後の時代には通用しにくくなると我々は考えています。
専門性も問われるがオリジナリティも問われる
専門性だけでなく、指導者自身の人間的魅力やオリジナリティも重要視されます。独自のチームカラーを打ち出して新たな選手を呼び込むことが必須の戦略になるのではないでしょうか。他にはない個性をもつ指導者が注目されるかもしれません。
単純な競技スキルではなく、生きる力・メンタリティーを育む指導
厳しいトレーニングをこなし、結果として勝ちを狙うスタイルだけが、スポーツの価値ではありません。今後の指導者は、選手としての力だけでなく、人間としての総合的な力を育むことを意識する必要があります。少ない人数でも、限られた環境でも、「いかに自分の限界を超える挑戦をし、チームで支え合いながらメンタルを強化していくか」が重要視されるでしょう。
強豪校に行って勝利をめざす選択肢だけでなく、自分が置かれた地域や学校で「スポーツを通していかに人間的に成長するか」を感じさせるのが、次世代の指導者像となるのではないでしょうか。
もっと指導者たちの学びの場を提供する必要がある
以上を踏まえると、我々自身が学び続けていく必要があります。
これからは選手が指導者を選んでいく時代です。
そして親御さんたちも、一人の子供により多くの教育資源を注ぐでしょう。
そうなると、当たり前のように指導する対象となる選手がいたころとは違い、より魅力的で確かな指導能力がある人の周りに選手があつまります。
しかしながら、【指導者の学びの場】が少ないのが最大の課題であると考えています。皆さんの周りに指導者同士が意見を交換しあったり学びあえる場所は存在していますか?おそらく中々存在しないのではないでしょうか?
その課題を少しでも解決するために我々は情報発信を続けております。皆様が今回の記事を通して、自己研鑽のモチベーション、そして何よりも今目の前にいる選手たちへの指導への熱意が上がれば幸いです。
長い記事となりましたが最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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