――ブラジェビッチ監督の「傘」に学ぶ、戦術言語の力――
1998年フランスW杯。 クロアチア代表を3位に導いたミロスラヴ・ブラジェビッチ監督のチーム戦術は、今なお語り継がれています。モドリッチが登場する以前のクロアチアが世界を驚かせた理由は、個の才能だけではありません。その裏側には、非常にシンプルで、全員が同じ絵を思い描ける「戦術の言語化」がありました。
その象徴が、彼の残した有名な一言です。
「取ったら開く、取られたら閉める」
彼はこの戦術行動を**「傘」**に例えました。 ボールを奪った瞬間、傘をパッと開くようにピッチを広く使う。 ボールを失った瞬間、雨を防ぐために傘を閉じるように、全員が一気にコンパクトになる。
たったこれだけの言葉です。 しかし、この一言には、攻守の切り替え、ラインコントロール、距離感、連動性といった複雑な要素が、すべて内包されています。しかも、誰にでも分かる日常的な比喩で。
私はこの話に触れるたび、強く思います。 **「戦術とは、どれだけ高度かではなく、どれだけ共有できるかだ」**と。
戦術は「理解」ではなく「一致」がすべて
戦術書を読めば、難解な言葉や図解がいくらでも出てきます。 ハーフスペース、ライン間、数的優位、ゾーンディフェンス…。 それらを理解することは、もちろん大切です。
しかし、試合中の選手たちは極限の状況にいます。
- 考える時間がない
- 声を掛け合う余裕もない
- 一瞬の判断で動かなければならない
その中で求められるのは、「正しい理解」よりも、**「全員が同じ行動を選ぶこと(一致)」**です。
ブラジェビッチの「傘」は、選手に考えさせる言葉ではありません。反射的に、身体が同じ方向へ動くための言葉です。だからこそ、戦術として機能したのです。
なぜ「一言」がこれほど力を持つのか
「取ったら開く、取られたら閉める」。 この言葉が戦術言語として優れている点は、3つあります。
- 状況が明確なこと 「いつやるのか」がはっきりしています。ボールを取った瞬間、取られた瞬間。そこに迷いがありません。
- 行動が具体的なこと 開く・閉める。抽象的な精神論ではなく、身体の動き(アクション)に直結しています。
- イメージが共有できること 「傘」という誰もが知っている道具を使うことで、年齢や経験に関係なく、全員が同じ映像を頭に描けます。
戦術が一言で伝わるとき、チームは「考える集団」から**「反応する集団」**へと変わります。それは決して思考停止ではなく、思考を積み重ねた先にある自動化です。
私も、そんな「一言」を作れる指導者でありたい
正直に言えば、私もまだ道の途中です。日々のトレーニングでは、多くの言葉を使ってしまいます。説明し、補足し、修正し、問いかける。
しかし、心のどこかでいつも思っています。 **「この戦術を、一言で表せないだろうか?」**と。
- 守備のとき、何を最優先するのか
- 攻撃に転じた瞬間、全員が何を見るのか
- 迷ったとき、どこに戻ればいいのか
それらが、一つのフレーズで揃った瞬間、チームの動きは驚くほど滑らかになります。戦術を細かく説明しなくても、その一言を聞いた瞬間に、「今はこれだよね」と全員が同じ行動を選べる。それが、私の目指すチーム像です。
一言を生み出すために必要なこと
戦術の一言は、机の上では生まれません。 練習や試合の中で、選手が何に迷っているのか、どこで判断がズレるのかを、徹底的に観察する必要があります。
- ここで全員が一歩遅れる
- ここでラインが割れる
- ここで攻守が分断される
その“ズレ”の正体を突き詰めた先に、本当に必要な言葉が見えてきます。 ブラジェビッチの「傘」も、きっと何度も失点し、何度も修正した末にたどり着いた言葉でしょう。戦術言語とは、現場で削ぎ落とされた、最後に残る一言なのだと思います。
戦術は、チームの「共通言語」である
サッカーは11人で行う競技です。誰か一人が正しくても、意味はありません。全員が、同じ方向を向いて動くことに価値があります。
だからこそ、戦術は「難しく語れること」ではなく、**「簡単に伝わること」**であるべきです。
「傘」のように、 聞いた瞬間に身体が動き、 全員の距離が縮まり、 チームが一つになる言葉。
私も、そんな一言を生み出せる指導者でありたい。そしていつか、選手たちがピッチの中でその言葉を自然に使い、言葉がなくても同じ行動を選べるチームを作りたいと、強く思っています。
戦術は図ではなく、言葉で生きる。 その力を、私は信じています。


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