今回は、少し賛否が分かれるテーマについて話していきます。レオザフットボールさんが、選手として本格的なサッカー経験がないにもかかわらず、サッカーを語り、チームの監督をしている。このことに対して、「サッカーをやったことがない人に、何が分かるのか」「プロ経験がない人が、プロの選手や監督を批判するべきではない」「実際にプレーしたことがない人が、指導者を名乗るのはおかしい」といった批判的な意見があります。
最初に言っておきますが、この記事は、レオザさんの分析がすべて正しいとか、発言をすべて肯定するとか、そういう話ではありません。誰であっても、発信した内容が間違っていれば批判されることはありますし、監督として結果が出なければ評価が下がることも当然です。ただし、発言の内容や監督としての仕事ではなく、「サッカー経験がない」その一点だけを理由に、サッカーを語る資格や指導する資格まで否定してよいのでしょうか。
大前提 ─ 経験は重要。しかし、経験だけで決まるのか
まず、誤解してほしくないのですが、選手経験には大きな価値があります。実際にピッチに立った人にしか分からない感覚があります。試合中のプレッシャー、疲労した状態での判断、相手との接触、ロッカールームの空気、監督の言葉を受け取る選手の感情。こうしたものは、映像や本を見ただけでは完全には理解できません。したがって、プレー経験は指導者にとって間違いなく一つの武器です。
しかし、ここで考えなければならないのは、「経験が武器になること」と「経験がなければ資格がないこと」は、まったく別の話だということです。プロ経験があるから、必ず優秀な監督になれるわけではありません。反対に、プロ経験がないから、絶対に優秀な監督になれないとも限りません。見るべきなのは経歴だけではなく、何を学んできたのか。何を理解しているのか。選手に伝えられるのか。チームを成長させられるのか。そして、結果に対して責任を取っているのか。ここではないでしょうか。
問題1 ─ 未経験者は、地域のコーチをしてはいけないのか
この議論を、レオザさんという一人の有名人だけの問題にしてはいけないと思います。例えば、地域の少年団を考えてみてください。子どもがサッカーを始めた。ところが、指導者が足りない。そこで、サッカー経験のない保護者が、ルールや練習方法を学びながらコーチを手伝うことになった。この人に対して、「経験者ではないから、子どもにサッカーを教えてはいけない」と言うのでしょうか。それを徹底したら、全国の多くの地域で、サッカーを教える人がいなくなります。
もちろん、何も勉強せず、自己流で怒鳴り、子どもを傷つけるような指導は認められません。しかし、それは未経験者だから問題なのではありません。経験者であっても、学ばずに危険な指導をすれば問題です。逆に未経験者であっても、講習を受け、子どもの発達を学び、安全管理を行い、自分に分からないことを経験者に聞きながら指導する人もいます。
- 学び続けているか
- 自分の限界を理解しているか
- 選手や子どもに責任を持っているか
大切なのは、経験があるか、ないかだけではなく、この三つです。入口の段階で未経験者を排除してしまえば、指導者の数は減ります。指導者が減れば、子どもたちがサッカーに触れる場所も減ります。最終的には、競技そのものが衰退していく可能性があります。
問題2 ─ 全員が、最初は素人だった
二つ目は、どんな人でも最初は素人だったということです。サッカー選手も、最初から選手だったわけではありません。初めてボールを蹴った日があります。初めて試合をした日があります。初めて戦術を学んだ日があります。指導者も同じです。初めて練習メニューを考えた日があり、初めて選手の前で話した日があり、初めて采配を振るった試合があります。
多くの指導者は、選手から指導者になります。しかし、全員が必ず選手から入らなければならないのでしょうか。ある人は、分析からサッカーに入るかもしれません。ある人は、審判から入るかもしれません。ある人は、トレーナー、データ分析、経営、映像制作、保護者、サポーターから入るかもしれません。レオザさんの場合は、一般的な「選手を経験してから監督になる」という順番ではなく、サッカーを観る、分析する、発信する、そして監督になるという順番だった。言ってしまえば、プレーヤーからではなく、監督や分析者の側から競技に入ったということです。
入口が違うだけで、その人の可能性を最初から否定する必要はありません。もちろん、監督として始めた瞬間から名監督になれるわけではありません。失敗もします。選手との関係に悩みます。机上の理論が通用しないこともあります。しかし、それは選手経験のある新人監督も同じです。大切なのは、スタート地点ではなく、その後どれだけ現場から学び、修正し、成長しているかです。
Method-Laboもきっと同じ立場にいる
これは、我々Method-Laboにも関係する話です。我々にも、トップレベルのプロ選手として活躍した経験があるわけではありません。それでも、サッカーの戦術や原理原則について学び、整理し、発信しています。だからこそ、我々は自分たちの発信が無条件に正しいとは考えていません。間違っていれば修正する必要があります。現場の指導者や選手の意見から学ぶ必要もあります。実際の試合やデータと照らし合わせる必要もあります。
ただ、「プロ経験がないから、何も語ってはいけない」と言われてしまえば、サッカーについて考え、学び、言語化する人の多くが排除されます。それは日本サッカーにとって、本当に良いことなのでしょうか。サッカーを深く考える人が増える。試合を観て疑問を持つ人が増える。戦術を学ぶ人が増える。自分なりの意見を発信する人が増える。その中から、将来の指導者、分析官、審判、クラブ経営者、ジャーナリストが生まれるかもしれません。最初から完成された人だけに発言を許していたら、新しい人材は育ちません。
問題3 ─ サッカーに触れる入口は、多い方がいい
我々は、すべての人がサッカーに気兼ねなく触れられる環境が増えた方が、日本サッカーは強くなると考えています。サッカーは、プロ選手だけのものではありません。上手な人だけのものでもありません。子ども、保護者、指導者、審判、分析者、サポーター、配信者、経営者。さまざまな立場の人が関わることで、競技は大きくなります。
「経験者しか語ってはいけない」「上手な人しか教えてはいけない」「結果を出した人しか意見を言ってはいけない」。こうした空気が強くなれば、サッカーに関わるハードルは上がります。反対に、未経験でも学べる。指導者を目指せる。分析を発信できる。地域の子どもたちを支えられる。そうした入口が増えれば、競技人口だけではなく、サッカーを支える人材も増えていきます。
日本が本当にサッカー強国を目指すのであれば、必要なのは入口を狭めることではありません。入口を広げたうえで、学習や資格、安全性、倫理、結果に対する評価を厳しくしていくことです。誰でも始められる。しかし、始めた後は学び続けなければならない。この形が理想ではないでしょうか。
結論
サッカー経験がない人でも、サッカーを語っていい。指導者を目指していい。監督からキャリアを始めてもいい。ただし、経験がないことを免罪符にしてはいけません。学ぶこと。現場の声を聞くこと。分からないことを分からないと言うこと。自分の発言と結果に責任を持つこと。これは必要です。
そして評価する側も、「経験者だから正しい」「未経験者だから間違っている」と、経歴だけで判断するべきではありません。見るべきなのは、肩書きではなく中身です。何を語っているのか。選手をどう成長させているのか。チームをどう変えているのか。批判を受けたときに、どう修正しているのか。そこを見なければならないと思います。
レオザさんの意見や監督としての仕事に対して、具体的な批判をすることは健全です。しかし、「サッカー経験がないから、サッカーに関わるな」という批判には、我々は賛同できません。誰もが最初は素人です。ただ、その人はプレーヤーではなく、分析者や監督という入口からサッカーを始めただけかもしれません。サッカーに関わりたい人を排除するのではなく、学び、挑戦し、正当に評価される環境をつくる。その方が、長い目で見れば日本サッカーを強くするのではないでしょうか。
皆さんは、サッカー経験のない人が指導者や監督になることについて、どう考えますか。